「父親参観」という行事が憎くて仕方ない。
我が子が通うところには、
- 「母親参観」
- 「父親参観」
という行事がそれぞれ設けられている。
「父兄」という言葉は、この現代いかがなものかとは思うが、
「保護者」ではダメであろうか?
わざわざ、
”この日はお母さんに来てもらう日”
”この日はお父さんに来てもらう日”
と、決めて、来る人を限定した行事だ。
ただでさえ、「母の日」「父の日」などという言葉に悩まされているのに、
それに加えて「父親参観」。
我が家のように離別した人や死別した人については、少数派だからと考えてもらえないのだろうか。
「母親参観」だって同じ。
事情があって、父親だったり祖父母が育てている家庭だってある。
自分が離婚したことで、私自身に不都合や偏見の目が向けられることは一向に構わない。
けれど幼いながらも、不満も疑問も吐き出せずに頑張っている子どもを痛めつけるのはやめて頂けないか。
もちろん自分の家庭の為だけに行事を止めてくれ、などと言っている訳ではない。
ただ、「ご家庭の人や身近な人に見てもらう」という表現にはしてもらえないか。
お知らせには、下線でこのように記されたいた。
「父親参観には、お父様がいない方のみお母様が出席されても構いませんが、原則お父様のご参加をお願いします」
いない訳じゃない。
いる・・・んです。
でも、でも、・・・という状態なんです。
先生には私が行くことと、”事情についてはクラスのみんなの前で言わないでほしい”ということはお願いしたが、守ってもらえるか。
昨今、「SDGs」という言葉をよく聞きます。
このSDGs(持続可能な開発目標)の内容に、意外にも家庭の問題などの項目とそれに伴う差別・偏見をなくす、などと言った項目は見当たりませんでした。
というかこの17の目標とターゲット、壮大すぎて一般人からはなんだか遠く感じてしまいます。
毎日の生活に悩みだらけでやっと生きているのに、全世界の理想の状態というのか、この目標は本当に現実からかけ離れていると感じずにはいられません。
ただ・・・必要な物を必要なだけしか持たない生活って、私には苦しいんです。
「無駄」と思えることこそ、自分にとっての豊かさというんでしょうか。息抜きというのでしょうか。
目先の目標。
「父親参観」のストレスをどう解消するか、子どものケアをどうするか?
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