婚姻届を出したときより離婚届けを出したときのほうが100倍幸せ
よく
結婚はゴールではなく、スタートだ
って言いますよね。
私も結婚はゴールだとは思っていませんでした。
ここから2人で家庭を築いて、歳をとったときに「よかった」と思えることを目標に結婚しました。
でも、結婚ってそういうものじゃないんだということに、今になって気付きました。
いつもとっている新聞に「人生相談」のコーナーがあり、好きで毎日読んでいます。
その中でも結婚や恋愛・家族・離婚にまつわることはかなり多くを占めています。
いかに人の悩みが「人間関係」であるかということがわかります。
その日の相談はこういったものでした。
といった内容でした。
私はこの質問だけを読んだとき、こう考えました。
”確かに同棲すれば、付き合っているときにはわからない彼のことが分かる。それで嫌になるかもしれないから、同棲という段階を踏むことに賛成だ”
と思いました。
事実、離婚した元夫とは同棲はせず、結婚=同居でした。
そして結婚したその日にモラハラが始まったのです。
なので、何度も何度も、
同棲していたら100パーセント結婚しなかった
と口に出して言っていました。
話を元に戻して、その日の新聞の回答はこうでした。
”結婚というものはお互いがどうしようもなく一緒にいたいという情熱からするものだ。
同棲をしてみて嫌なら別れるなどと言っておられる貴方は結婚を簡単に考えておる。両親が心配するのも当然だ。
いつかどうしようもなく一緒にいたいと思える相手が出来たときが結婚するときだ”
というものでした。
私は感銘を受けました。
本当にその通りだと。
”どうしようもなく一緒にいたい”
こんな気持ちを持って結婚しただろうか?
とんでもない、惰性からだった。
結婚適齢期、やら妊娠のリミット、やら世間体、そういったものが重なりあったタイミング。そのときに正社員で働いていて求婚してくれた男性。
そんな人と結婚した。
婚姻届を出したときのことをよく覚えている。
書くときも、そんなに嬉しくなかった。
父親に証人になってもらうのもなんだかこっぱずかしかった。
よくみんながやる、「役所で婚姻届を持ってツーショット」も恥ずかしかった。
周りの人なんてみんな知らないのに、
”あの2人結婚するんだ”
と思われるのが恥ずかしくてしょうがなかった。
別に不幸な気持ちも微塵もなかった。けれど「幸せ」という感情も薄かった。
婚姻届を提出してから10年後、私はひとりで離婚届を提出した。
そのときの気持ちも鮮明に覚えている。
私は調停離婚だったので、離婚届に夫のサインも要らなければ証人も要りません。
裁判所からもらった調停調書を持って、離婚届は自分のところだけを書けば提出出来ます。
調停調書が届いたその日に役所にランラン気分で向かいました。
(※離婚日は調停で離婚が成立した日だが、調書をもらい役所に提出しないといけない)
「この名前ともおさらば」
「あいつの戸籍からの脱出!」
などと嬉しい気持ちしかありませんでした。
そこに未来への不安や、”この決断は正しかったのか”なんて思いは一切ありませんでした。
もし、結婚を
どうしようもなく一緒に居たいという熱い情熱からしていれば、結果は違ったのでしょうか。
それはわかりません。
それより、そんな人と、もし100年生きたとして出会えるのでしょうか。
そしてその人からもそんなふうに想ってもらえることはあるのでしょうか。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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akari