「優しくて、思いやりのある子になってほしい」
そんな願いを込めて我が子に名前を付けました。
(とは言っても名前はモラ夫が独断で決めたので、全く関係ありませんが笑)
そんなことを考えながらやってきた訳ではありません。
ただただ小さな命を守らなければ、という使命感と
なんてかわいいんだ、という今まで感じたことのない深い愛情を感じながら、
気が付けば、何よりも大切に大切にしていました。
・・・ひとりでの育児は想像以上に大変でした。
それでも、子どもが3歳になるときくらいまでは、本当に・本当に、
自分の全てと時間を懸けて、我が子と向き合ってきたつもりです。
- 3歳を過ぎると、もちろん可愛いという気持ちに変わりはなかったけど、いけないことをしたらそれを伝えたり、向き合い方は少し変わりました。
- それに加え、どうしても子どもとだけ向き合っていることに疲れてしまい、自分自身の時間というものを欲しくなってきてしまいました。
前置きはさておき、
子どもに優しくて思いやりのある子になってほしい
という願いを持つことに疑問を感じ始めました。
母親とだけの世界から離れ、同じ年齢の子たちのいる集団に入りました。
当然、いろいろな子がいます。
先日、記事にした”物を盗む子”を始め、気に入らないと人を叩く子などもいます。
そういった場面に出くわしたとき、
おとなしく言いなりになっている我が子を見て、
本当にこれでいいのか?
という思いに駆られています。
もしかしたら、憎まれても強い人間のほうがうまくやっていけるのでは?
おとなしくしてたら、いじめられる?
もうわかりません。
モラハラ夫と離婚することに、今までで一番のエネルギーを使いました。
そして、そのとき分かったことに、
「モラ夫を変えることは出来ない。私が出来ることは、子どもをモラハラ人間に育てないことだ」
と思いました。
つい最近まで、絶対にそんなこと人間にだけはさせない、そう思って育ててきました。
でも、被害者になることなんて想像していませんでした。
つい先日「顔を2回殴られて大泣きしました」と園で聞いたとき、さすがにおかしいよな?ってなってきました。(しかも相手から謝罪はなし)
もちろん人を傷付ける人間になんてなってほしくない。
でも、それ以上に、被害者となって、私のような人生を送ってほしくないと思ってしまいます。
モラハラな父親を手本にしてほしくないと、必死になって離れました。
けれど、私は手本になれるような生き方をしてるだろうか。
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akari
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